主体性と協調性
保育園の保護者たちから『自由人』と呼ばれる娘・・・。
早生まれだということもあり、その辺は何となく園でも大目に見てもらえている部分があるようで‥とても有り難く感じている。
と同時に、私の中でもそこはやはり将来への不安材料の一つでもあり、普段あまり考えないようにと頭の片隅に「個性」という枠組みで格納しているものの、やはり、彼女の「自由人っぷり」を目の当たりにすると、そのしまい込んでいた感情がいとも容易く膨張し、頭の中をぐるぐる駆け巡る時がある。
でも、実際のところ、日本の保育園(社会の縮図でもある)は大概『協調性』を重視しすぎる面があると思う。
皆で同時に同じことをしなくても良いのではないか?
2歳になれば、自分の興味に応じて立派に意思決定できる能力はある。
先日、保育参加をしてきた。
ちょうどお誕生会が催される日で、ホールに集まった子供たちが、行儀良くみんな体育座りをしている。
少しでも列を乱す子は、先生からちょっとキツめに注意されている。
それでも、その日はお誕生会という子供たちにとっても少し特別な日。
自然と弾む気持ちを押さえきれずにはしゃぐ気持ちはとても理解できるし、
むしろ素直な感情表現を微笑ましく受け止めたくなる。
(ヒューヒュー!と会場を盛り上げようとした子は、予想どおりしっかり叱られていた。
この子も2歳児クラス。なんか切ない)
集会で静かに聞いている子がいて、盛り上げる子がいて‥その多様性を認めてもよいのではないか?
溢れる感情を抑えるトレーニングは、まだ少し早い気がする。
工作で、何故みんな同じものを作るのかな?
なぜ男の子はブルー、女の子はピンクのものを配られるのかな?
・・・当たり前のこととして行われていることだが、私にとっては疑問に思うことも多い。
ただ、そこに疑問を呈するには、まだまだ日本式の教育が根強い現場では難しい。
法律に則って割与えられている保育士の数だって少なすぎる。
やはり、今の体制で保育を行うためには、団体行動ありき。
「右へ倣え」の教育になってしまうのは致し方ないところなのかな。
日本の子供の可能性が潰されている気がして、ちょっとモヤモヤもする。
さて、そんな娘だが、一歩国外へ出るとどうだろうか。
いやはや、めちゃくちゃ協調性のある「良い子」に見える。
逆に、海外育ちの子供の言動を見ると、思わず眉をしかめたくなるような場面が多い。
当然保護者も、それを受け入れている。
「協調性」と「主体性」
相反するようなものに思えるが、この両者をどのように育んでいくべきか。
・・・悩む。
0コメント